踊る身体について

おはようございます!

月曜日に大学のセミナーを受けてから、どうも研究モードが止まらないです。

ということで、普段私が考えていることの一部をシェアしたいと思います。

今日ご紹介するのは、「踊る身体」について。

身近な芸術って色々ありますよね。

例えば、音楽、小説、絵画など。

そのうちの一つに、ダンスもあるかと思います。

音楽は少し別だと思うのですが、小説・絵画は、作品が作者の手を離れる芸術だと思います。

小説は何度も読めるし、絵画は何度もみられる。

(たとえ作者が死んでも)再生可能である=永遠に生き続ける芸術

音楽・ダンスは何らかの録画機能を用いないと、それが難しいということ。

つまり、人間の手を離れることができない。

作者の死=作品の死とも言えるということ。

そのような違いが、それぞれの芸術の中であると思います。

そして私は研究の専門も、自分自身実践してきたことも舞踊なので、特に舞踊にフォーカスしていきたいと思います。

舞踊=(動く)身体なので、舞踊を見るということはその身体を見るということ。

(音楽の場合、「顔の表情で表現する!」ということもあるとは思いますが、基本的に音はそれを出す身体から離れられます。ピアノの音は鍵盤を押した手から離れます。声については身体との分離を宣言するのは必ずしも難しいですが…。)

舞踊の場合、その大本である身体が死ぬと、舞踊も死ぬということです。

(こうしたことは、ずーっと大学〜大学院を通して、授業を通して議論したり、自分の研究テーマにしてきたことです)

今でも私はそんなことを考えているのですが。

これをもっと分かりやすく、日常的に考えていくと…。

ダンスって、見た目の美しさが超大切じゃないか!?ということですw

小説とか絵画っていうのは、作者自身の容姿がどうであっても作品に影響ないと思うんですけど、

ダンスはその身体を通して見るものなので、作品や動きの価値に直結します。

ダンスがどうであるかは、そのダンスを踊る身体がどうであるか、ということですから。

なので、残酷ですが見た目が美しい方が、他の一切の条件が揃っている場合は評価が高くなるのですw

研究として考える時は、もっと抽象的に舞踊、それを捉えるということ(視覚がどうあるか)を考えていくのですが。

日常に落とし込むと、「もっとダンスを素敵にするために、自分の容姿レベルを上げなければ!!!」ということですw

ダンスについて、学問的に考えていくのと同時に自分の実践レベルでも考えている今日この頃です。

自分が踊るということ=自分の身体が踊るということ=踊る主体は自分の身体!!!

なので、痩せて鍛えましょう、自分。ということですw

こんな感じで、踊るということについて日々考えています。

また、何か浮かんだらシェアしていきたいと思います!

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

それでは♪

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